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台湾popsと香港popsの決定的な違い
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    というタイトルで今自分の書きたいことをちゃんと表せているか心もとないがとりあえず。
    台湾popsファン層の変化について無視できなくなってきた気がするので(自分の中で)考え考え書いてみようと思います。
    王力宏にハマった頃は無邪気に台湾popsを聴いていて、こんな世界もあるんやー!とうきうきしていたものですが、段々しんどくなってきた。
    なんでなんやろう、と考えて思い当たったのが洋楽なんかもがんがん聴いてきた耳の肥えた人たちの世界に片足をつっこんでしまってたからや、ということ。
    私はもともと香港が好きで、避けて通れぬものやから、という感じで香港popsを聴くともなく聴いてきた経験しかないのだ。
    でも台湾popsファンにはもともと音楽に精通している人が多い。「アジアにもこんな音楽があったんか」っていうところから入った人が多いような気がする。
    今思えば香港pops通の人の中にももちろん音楽通の人はいたんだけど、私には追っかけ的に香港popsを好きなこととの区別がついていなかった。
    それは、香港芸能界の特殊性=「歌手」がいない(その当時。今は「歌手」という人も増えてきた)、映画もやれば歌も歌う、という「明星」しか存在しなかったことも関係しているとは思うんですが。
    だから、リーホンから始まって、タオや、香港以外の音楽を聴きだした時、私の動機は香港と同じ「中華」である、っていうことでしかなかった。同じ中華圏でありながら、聴きやすく、かっこ良くさえ思える音楽、という風な捉え方だったと思います。
    でも、その頃ネットを通じて知り合ったりしたリーホンやタオファンの人たちには、Y小姐の言葉を借りると「香港でならした」人たちが多かった。
    だから考え方というか、その人たちの行動パターンという言い方をしたら失礼だけれども、そういうものには親近感があったし、暗黙のうちに共有できてるものもあった気がする。
    それがまぁ段々、そういう人ばかりでもなくて、もともと音楽好きで、タオやシンガポール、マレーシア勢の実力派の中国語の歌を聴いてハマりました、っていう人たちが存在することに気付いてったんですが。
    それは私にとってかなりコンプレックスを刺激されることでした。香港popsは聴いてる人も少ないし、聴いてるというだけでレア感があった。(歪んだ優越感、大いなる勘違い、って感じですが)
    だけど、台湾popsは、私にとって「中華」というくくりだけでは対処できなかった。実は香港popsより一般化されやすいものだったのかもしれない。お手上げですわ、私には。それでこの点に関しては結構卑屈になってたりします(^_^;)
    また、ここへきて、さらになんていうか「好きなものの一つ」的に台湾popsを語る人が増えてきたような気がする。つまり、決して「マニアック」なものではなくなってきているのではないか、と。
    それは、ブログっていう強力な発信ツールのせいで、今までも存在(というとモノみたいですが便宜上使わせてもらいますね)したけれども表に現われていなかった人たちが浮上してきただけかもしれませんけど。
    でも、台湾popsの受け入れられ方っていうかそういうのを認識しとかないと、また自分が辛いような気がするなぁ、と。(結局自分を守るための屁理屈なのねん)

    きっと香港popsがそんな風に語られるようになったら、かなり再起不能になりそう。(私はかなり自己中心的に香港が好き)
    でもまだその波(?)は無いかな、と思うのです。
    それが、現時点における香港popsと台湾popsの決定的な違いかな、と。

    うまいこと落ちたんちゃうん、これ。
    | tartcoconut | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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